米とじゃがいも

オランダに住む帰国子女の思想本

はじめに……

  簡単な自己紹介をしたいと思う。

 私は神奈川県で生まれ、6歳の時に移住したエクアドルで幼少期を過ごした。エクアドルは、南米に位置する小さな国でコロンビアとペルーという二つの大国に囲まれている。歴史を辿れば、インカ帝国が支配していた土地の一つであり、大航海時代にスペイン人が渡ってくるまでは独自の文化が栄えていた。今でもそのインカの子孫と呼ばれる人々は山奥で慎ましく暮らしている。中学の終わりに日本へ一人で渡り、そこで2年を過ごしたのち、オランダへと移住し、今年最後の高校生活を送っている。このブログでは、これらの経験を経て私が考えること、思うことを軸に、広い範囲での日本の文化や政治、社会、オランダ・エクアドルでの生活や世界のさまざまな話題について書いていきたいと思う。

 

出身地・故郷について

自己のアイデンティティについて悩むことは、人としては当たり前の行為であり、ましてや、まだ二十歳にも満たない私がそれについて苦しむことは至極当然であるかもしれない。

それらの中でも普段から大いに頭を悩ましているのが「自分の出身地」についてである。自分の出身地・故郷について考えると以下のようになる。

 

日本は、前にも記したように、出生からの6年間しか過ごしていないために、中学になって帰国するまでは全く未知の新しい世界であった。そのために出身地とは到底断言できないのである。

では、エクアドルはどうだろうか。その土地で過ごした10年間は私の人生の中では大変意味のある期間であったが、そうとも言い切れない。そもそも法的に見ても私は日本国籍であり、エクアドル人と証明できる書類などこの世に存在しないからだ。

 

f:id:kiseki-ruby:20190501154927j:plain

エクアドルの海岸

 

f:id:kiseki-ruby:20190501154841j:plain

エクアドルは世界の中でも自然が豊かで、生物多様性の国として知られる。

 

 

では、一体どこなのか。

 

それを判断するのは大変難しいのである。

 

私は日本もエクアドルもオランダも好きだ。

どれも同じように好きだ。それと同じくらい嫌いなところもあるが

だが、出身地、ましてや故郷と言われればなかなか難しい。

 

世界のさまざまな国々をまわることができるのは決して悪いことではない。しかし、一人で日本に渡り、そこで生活することによって、色々と感じる事も多かった。

親戚が「やっと故郷に帰ってこれてよかったわね。」というたびにどこか、自分の知らないどこかでズキっと胸が痛んだ。

「エクアドル……?大変だったでしょう。そんな国で……」といわれるたびになんとも物悲しい気持ちになった。

その中でも一番辛かったのは「でも、あなたの故郷はここ(日本)ではないでしょう。いいわね。海外が故郷だなんて」と言われた事だと記憶している。

 

f:id:kiseki-ruby:20190501155414j:plain

日本は想像に反して緑豊かな美しい国だった。

私は日本人で、エクアドルにいる間、片時ですらもそれを忘れたことはなかった。なのに、その日本でお前はここには所属しないのだと、そう切り捨てられた気がした。

もちろん同じような環境で育った人はいくらでもいるし、発言をした本人もそのようなつもりではなかっただろう。

けれども、

『自分の故郷はどこにあるのだろう。』

そのような果てしない疑問が私の脳内を支配するようになるきっかけとなったのは確かである。

「エクアドルの何も知らないくせに」と無性に腹が立った事もある。

 

 

何気ない生活。そんな生活に大変憧れていた時期もあった。家にある日常漫画を手にするたびに、日本のテレビ番組を観るたびに、「ああ、こんな生活もあるのか」と心のどこかで羨ましく思っていた。

 

私の日常は常に激動の中にあった。

 

f:id:kiseki-ruby:20190501155927j:plain

昨年移住したオランダ。「水の都」と称される美しい景色の持ち主である。

 

「変化」の中にあること。それは悪いことではない。むしろそれは大変なように思えて、実は人の一生をそのまま描き出しているように思える。

 

腕にすっぽりはまってしまうような大きさで生まれ、たったの十数年で成人と肩を並べて生きていく。やがて、多くの人はまた出会うべき人と出会い、家族を作る。そして、いつかは老い、死ぬ。

それが人の「当たり前」の姿なのだ。

私の過ごしてきた日々もそう思えば大したものではない。

「歴史」の渦の中に紛れたちっぽけな粒のような時間でしかない。

まだ十七年。されど十七年であると私は思っている。

そんな粒のような時間のほんの一瞬、一瞬の出来事をここに記していきたい。