天皇代替わりの儀式 ー 天皇は今でも「神」なのか
天皇代替わりの儀式に関する議論
日本の外にいると、改元とは大変遠い場所の話のような気がしてならないが、ニュースなどから、日本国内では相当な騒ぎとなっているだろうことは想像できる。新天皇即位に関する話題は大変多く存在するが、その中でも代替わりの儀式一連が「政教分離に違反している」とする意見があるらしい。それを主に主張しているのはキリスト教団であることが今日の朝日新聞に記されていた。オランダというキリスト教国に住み、また私自身キリスト教を信仰する者としては人事ではないように思われてならない。日本における天皇の存在自体今でも大変独特であり、それには日本の昔からある宗教観と文化が深く関わっている。今回の記事では、それらのことについて考えてみたいと思う。
天皇と宗教の関わりと他国との違い
天皇の代替わりの儀式が宗教的であるとの主張は大概の人にはある範囲理解できることではないかと思う。特に「剣璽等承継の儀」と呼ばれる儀式で引き継がれる三種の神器は日本神話である「古事記」に由来するものであり、その宗教性を否定することは到底不可能である。ただし、それはさておき、キリスト教であっても「イギリスのエリザベス女王は聖者とされているのではないのか」「ヴァチカンの教皇も大変な政治的権威も持ってるのではないか」という疑問はたくさんある。今までに得た知識や調べたことから簡単にそれらと天皇の相違点をまとめてみたいと思う。
- エリザベス女王
エリザベス女王と天皇の位置付けとの最大の違いは、エリザベス女王は「神に選ばれた代理人」であることだ。ここで混乱して欲しくないのは、私たちが小さい頃から教えられたように、昭和天皇の人間宣言後、天皇は神ではなく人間とされている点である。しかし、文化的・歴史的観点からしても、天皇は長らく日本において「神」としての位置付けを保持しており、私個人の意見としては今でもその根本的な理解は変わっていないように思う。なにせ、もし本当に天皇が全くそのような立場でないとするならば、そもそもこのような儀式は執り行うはずがないからである。
- ローマ教皇
教皇の立場はまた少し複雑だ。かつてはヴァチカンのカトリック教会が権威を振るった時代もあるが、今はあまり国際的な政治表舞で表に立つことは少ない。ただし、そんな教皇もヴァチカンでは今でも世界有数の絶対君主制の頂点に君臨している。簡単に言えば、戦時中の天皇と同じ権威があるということだ。また、教皇もエリザベス女王と同じように神の代理人であり、神自身では決して有り得ない。
今回は上記二つにのみ絞ったが、重要なのはキリスト教において「神」とされる人間は存在しないということだ。これはキリスト教の根底にある「人は神によって造られた」という前提があった上でのことだからである。しかし、日本の神道によると人は神の創造物ではなく「子孫」なのである。つまり、本来ならば、天皇のみが神であるのではなく、人は皆例外なく「神の子」であるのだ。その中でも天皇は天照大御神によって地上を任された瓊瓊杵尊の子孫であり、この世界を支配する権威がある唯一の存在なのである。
日本における宗教観
もう一つ重要なポイントは日本における宗教観そのものである。というのも、キリスト教のいう「神」と神道、その他の日本の宗教全般における「神」とでは、大変大きな違いがあるからである。
日本文化において「神」とは、元来「ありがたい存在」であり、豊作の時はその感謝を伝え、助けが欲しい時はそれを乞う、そのような抽象的な存在なのである。これはキリスト教の常に生活の中心にあり、人の倫理的判断の根底にある神とは全く異なっている。また、日本では、神道が多神教であるのに加え、明治に神仏判然令が下されるまでは神仏習合が一般的であり、神も仏も入り乱れた宗教だったのである。
ここで大切なのが、宗教を信じることが少なくなった今の日本においても、なんとなく「神です」と言われたら、「まあ、神なんでしょう」とどこかで受け入れてしまうような緩さがあることである。
老木は神、山も神、お地蔵さんもなんだかお辞儀をせずには通れない、仏も偉大、神社に行けばためらうことなく賽銭を投げ入れお祈りする、死んだ先祖も神……なのかもしれない。
これらが今の日本文化自体を形成している。正月に、神社へ初詣に行く人の何人がそれを宗教として行なっているだろうか。仏壇の前で手を合わせる人の何人が「自分は今一つの宗教を信仰しているのだ」と自覚しているだろうか。むしろほとんどの人がそれを文化として受け入れているのではないだろうか。
天皇の儀式でも似たようなことが言える。「あれは文化だ」と、そう言われればそうなのであり、それと同時に「いや、宗教だ」と言われれば、それも事実…というなんとも矛盾した結論に至るのである。前にも記した通りキリスト教徒である私からするとキリスト教団の主張はよく理解できるし、人間宣言を終えた今、天皇が以前のように宗教的重要性の高い儀式を行うことに関しては異を唱えざる終えない。
私が思うに、それが宗教なのか、文化なのかはそれを捉える国民によるのではないだろうか。儀式などのほとんどに物理的・論理的な意味はない。みる人・行う人がそれらに意味を見出すのである。
もしも、日本国民全体が代替わりの儀式を宗教ではなく文化と見なすのであれば、それを行うことになんら問題はないのではないか。日本文化に興味のある私としては、今回の儀式は日本古来から守られてきた大切な行事に触れられることのできるとても貴重な機会である。
参考文献
Religion as political instrument: The case of Japan and South Africa
Separation Of Church And State
Many Countries Favor Specific Religions | Pew Research Center
はじめに……
簡単な自己紹介をしたいと思う。
私は神奈川県で生まれ、6歳の時に移住したエクアドルで幼少期を過ごした。エクアドルは、南米に位置する小さな国でコロンビアとペルーという二つの大国に囲まれている。歴史を辿れば、インカ帝国が支配していた土地の一つであり、大航海時代にスペイン人が渡ってくるまでは独自の文化が栄えていた。今でもそのインカの子孫と呼ばれる人々は山奥で慎ましく暮らしている。中学の終わりに日本へ一人で渡り、そこで2年を過ごしたのち、オランダへと移住し、今年最後の高校生活を送っている。このブログでは、これらの経験を経て私が考えること、思うことを軸に、広い範囲での日本の文化や政治、社会、オランダ・エクアドルでの生活や世界のさまざまな話題について書いていきたいと思う。
出身地・故郷について
自己のアイデンティティについて悩むことは、人としては当たり前の行為であり、ましてや、まだ二十歳にも満たない私がそれについて苦しむことは至極当然であるかもしれない。
それらの中でも普段から大いに頭を悩ましているのが「自分の出身地」についてである。自分の出身地・故郷について考えると以下のようになる。
日本は、前にも記したように、出生からの6年間しか過ごしていないために、中学になって帰国するまでは全く未知の新しい世界であった。そのために出身地とは到底断言できないのである。
では、エクアドルはどうだろうか。その土地で過ごした10年間は私の人生の中では大変意味のある期間であったが、そうとも言い切れない。そもそも法的に見ても私は日本国籍であり、エクアドル人と証明できる書類などこの世に存在しないからだ。
では、一体どこなのか。
それを判断するのは大変難しいのである。
私は日本もエクアドルもオランダも好きだ。
どれも同じように好きだ。それと同じくらい嫌いなところもあるが…。
だが、出身地、ましてや故郷と言われればなかなか難しい。
世界のさまざまな国々をまわることができるのは決して悪いことではない。しかし、一人で日本に渡り、そこで生活することによって、色々と感じる事も多かった。
親戚が「やっと故郷に帰ってこれてよかったわね。」というたびにどこか、自分の知らないどこかでズキっと胸が痛んだ。
「エクアドル……?大変だったでしょう。そんな国で……」といわれるたびになんとも物悲しい気持ちになった。
その中でも一番辛かったのは「でも、あなたの故郷はここ(日本)ではないでしょう。いいわね。海外が故郷だなんて」と言われた事だと記憶している。
私は日本人で、エクアドルにいる間、片時ですらもそれを忘れたことはなかった。なのに、その日本でお前はここには所属しないのだと、そう切り捨てられた気がした。
もちろん同じような環境で育った人はいくらでもいるし、発言をした本人もそのようなつもりではなかっただろう。
けれども、
『自分の故郷はどこにあるのだろう。』
そのような果てしない疑問が私の脳内を支配するようになるきっかけとなったのは確かである。
「エクアドルの何も知らないくせに」と無性に腹が立った事もある。
何気ない生活。そんな生活に大変憧れていた時期もあった。家にある日常漫画を手にするたびに、日本のテレビ番組を観るたびに、「ああ、こんな生活もあるのか」と心のどこかで羨ましく思っていた。
私の日常は常に激動の中にあった。
「変化」の中にあること。それは悪いことではない。むしろそれは大変なように思えて、実は人の一生をそのまま描き出しているように思える。
腕にすっぽりはまってしまうような大きさで生まれ、たったの十数年で成人と肩を並べて生きていく。やがて、多くの人はまた出会うべき人と出会い、家族を作る。そして、いつかは老い、死ぬ。
それが人の「当たり前」の姿なのだ。
私の過ごしてきた日々もそう思えば大したものではない。
「歴史」の渦の中に紛れたちっぽけな粒のような時間でしかない。
まだ十七年。されど十七年である…と私は思っている。
そんな粒のような時間のほんの一瞬、一瞬の出来事をここに記していきたい。